読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

根の深い問題

以前所属していた楽団で、こんな楽曲に出くわしたことがある。

演奏3回までのレンタル譜だ。

この3回というのは、定期演奏会など、公開の会場でやる演奏で、練習場でやる練習は数に入らない。

もっとも、3回までだから、結局歯が立たずに演奏会の演目に掛けなくとも使用料には代わりはないのだが。

JASRACの考え方が、このレンタル譜面のように、発表会での演奏を対象にするものならば、それなりの理があるかもしれない。

だが、発表会での練習を目的としないものであれば、果たしてどうだろう。

音楽ではなく、舞台脚本でも似たようなものを観たことがある。

今もあるかどうか走らないが、未来社の未来劇場という一連の一幕物の脚本集。

使用許可を取ってから練習を始めること、

入場料等の金額に応じて利用料が異なること、

が明記されていた。

高校生の頃の話だから、もうとうに事項になっている話、だが、

数タイトルを1冊ずつ購入し、どれをやるかで輪読したことがある。

で、最終的に1点に決めたのだが、著作権絡みのところは担任任せだったから、どうしたのかは知らない。

この時、もし全点事前にということになったら、全点却下となっただろう。

さて、著作物を錬金術の種としてのみ考えるのであれば、JASRACの考え方は正しいだろう。

だが、それで著作物は広く使われるだろうか。

果たして音楽教室で使うだけのものが著作権利用料の対象となりうるのだろうか。

ふと思い出すのは、国定教科書国語読本の初期の話。

国定教科書ということで、当時の文部省は相当に気合を入れて創っていたようだ。

だから、どのような文章を使うか

どのような文字を使うか、

どのような印刷をするか

どのような紙を使うか

どのような製本をするか

について、相当慎重にやっている。

だから、文字は当代きっての書家が渾身の作を提供し、

印刷の原盤は、皆が一目置く版木彫刻家が担当し、

印刷も、紙も、製本も、国を挙げてトップクラスの人材が担当した。

その結果生まれたのが「ハトマメ読本」と呼ばれる国語教科書だ。

ちなみに、通常なら高額な制作費などを要求されるところだが、いずれも「これからの子どもたちのためならば」と、ほぼ実費だけしか受け取らなかったという。

それがいいかどうかは別問題。

譜面もより優れた演奏をされるべきものだろう。

作曲家や編曲家と言った諸氏の意向はどうなのだろうか。

そういったものを一切無視し、総売上から一律の支払いを求めるのは、果たして適正なのか。

例えばカラオケ店の場合、フードやドリンクは別料金。

つまり、こちらの価格で利益を確保することは可能だろう。

だが音楽教室の場合、そのような手段は限定的。

まして人件費や防音設備などの固定費が嵩む分、利幅は相当に薄いだろう。

結局のところ、この徴収は、音楽教室の月謝などの高騰につながり、音楽教育業界全体の縮小を招くだけだろう。

著作権利用料の重要性を否定する気はない。

だが、はたして音楽教室の売上の定率というのは適切なのだろうか

ヤマハJASRACを提訴へ 教室演奏の著作権めぐり

(朝日新聞デジタル - 05月16日 00:52)